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仙台地方裁判所 昭和54年(タ)3号・昭51年(タ)1号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1 原告と被告は昭和二二年一二月八日結婚し、昭和二三年七月二一日婚姻届をした。両名の間に、長男太郎(昭和二四年一月三日生)、長女秀子(昭和二六年二月二四日生)、二男次郎(昭和二八年二月一五日生)、三男三郎(昭和三三年三月五日生)が生れた。

2 原告は昭和二二年四月仙台市立中田中学校に教師として就職したが、結婚当時は現在の原告住所で原告の父及びその後妻と同居していた。のち、原告は次のように転勤しかつ転居した。

昭和二四年四月東仙台中学校へ転勤し、父と別居し仙台市内の宮城野原に転居した。別居は原告と父の後妻との仲がうまくいかなくなつたのが主な原因であつた。

昭和二六年四月宮城県立涌谷高校へ転勤し、涌谷町に転居した。

昭和三〇年四月柴田農林高校へ転勤し、大河原町に転居した。

昭和三三年四月県立農業高校へ転勤し、仙台の元の住所(現在の原告方)に転居した。

原告は昭和五三年三月退職した。

3 原告は結婚当初は被告に給料を渡していたが、やがて(宮城野原に居住の頃から)食費のみを渡すようになつた。そのため後日被告は生活費のため内職を余儀なくされた。昭和二四年一月に生れた長男太郎は体が弱く被告は太郎を連れて病院通いをしなければならなかつた。

昭和二七年一月、原、被告は太郎、秀子を連れて被告の実家へ行つたが、この時被告は胆石症にかかり、激痛に襲われたが、原告は被告に医師の診療を受けさせず、次の日被告と子供二人を実家に置いて家(当時、涌谷に居住)に帰つた。被告はそのまま約半年実家にいたが同年七月原告の許へ帰つた。

昭和三一年一一月、当時原、被告は大河原に居住していたが、被告は、長男太郎の体が弱かつたことが大きな動機となつて、創価学会に入信した。被告は同時に子供たちも入信させた。その頃長男太郎は七才、長女秀子は五才、二男次郎は三才であつた(したがつて、子供たちには入信についての判断能力があるとは思えない。)。大河原にいた頃は被告の宗教上の活動は原告にとつてあまり問題にはならなかつたが、昭和三三年四月原告が県立農業高校に転勤し、仙台の住所(原告の父の家)に転居して後、被告の活動は次第に多くなつていつた。家の中における線香の匂いや読経の声は原告の最も嫌うところであつた。被告は学会の活動のため昼に或いは夜によく外出し、ある時は本山く行くため原告に無断で二泊の旅行をし、原告に対し入信しないと仏罰が当ると言い、甚しくは原告方の神棚を毀したりした。被告は原告の父に対し、昭和三六年頃、右神棚の件をあやまり、今後入信活動をしないと誓約したが、被告はその活動をやめなかつた。原告は右のような被告の行動を嫌悪し、以前は酒を飲まなかつたのに、不快の気をまぎらすため酒を飲むようになり、飲んだあとは被告に対し大声でどなつたりした。原告は被告に対し些細なことを怒つて暴力を振るい、ために被告は子供を連れて実家へ帰つたこともあつた(昭和三八年頃)。また、原告は、大きな声で話したところ、被告から次男次郎が受験勉強をしているからと注意されたことに立腹し、刃物を振りかざして被告を切りつけようとしたこともあつた(昭和四五、六年頃)。

被告は昭和四六年に仙台家庭裁判所に離婚の調停を申し立てたが、のち、これを取り下げた。

原告は昭和四七年に仙台家庭裁判所に離婚の調停を申し立てたが、昭和四八年五月一六日「原告と被告とは当分の間別居する。原告は被告に対し、婚姻費用の分担金として毎月八万円、二男次郎、三男三郎の教育費として同人らの大学卒業まで一人につき年額七万五〇〇〇円を支払う」こと、その他を内容とする調停が成立した。原告は右調停に定められた金銭の支払を履行した。

原告は昭和四三、四年頃から被告とは別室に寝るようになり、以来性関係を持たず、昭和四八年四月から被告と別居して現在に至つている。

長女秀子は昭和四六年山之内和豊と結婚し、長男太郎は昭和四八年三月岩手大学を卒業して就職し、二男次郎は昭和五四年三月東北大学薬学部大学院を卒業して就職し、三男は昭和五四年三月高校を卒業して就職した。子供たちの学費については、長男太郎の学費は原告が出したが、足りないため、太郎は大学二年からアルバイトをした。二男、三男の学費は原告が調停に定められたとおり負担したが、足りないので、被告も内職して得た収入をもつて負担した。

4 原告は現に別紙目録記載の不動産を所有している。被告は不動産を所有していない。

目録(1)(2)の土地は原告が父梅之介から相続したものである。梅之介は昭和四三年に死亡した。

目録(3)の建物は原告が父より相続したものであり(登記簿上は原告が昭和四六年一月二六日受付で所有権保存登記をしている。)、原告が居住している。原告はこの建物の一部の一階を貸事務所として賃貸し(賃料月額五万五〇〇〇円)、二階を学習塾として使用している(塾の教師は原告である。)。

目録(4)の建物は父梅之介が自分の隠居所として建てたもので、原告が相続したものであるが、登記簿上は昭和四六年三月二日原告の所有権保存登記がなされている。原告はこの建物を賃貸し、賃料月額三万五〇〇〇円である。

目録(5)の建物は原告が昭和四六年に建てたアパートで四世帯入居しており、家賃月額合計一一万三〇〇〇円である。

目録(6)の土地は原告が昭和二九年に買受けたもので、このうち半分を他へ賃貸し、賃料月額五〇〇〇円である。

目録(7)の建物は原告が昭和三四年に建てたもので、他に賃貸しており、賃料月額三万円である。

原告は昭和五三年三月退職したが、退職金約一八〇〇万円を受領した。

二以上の認定に基づき、原、被告の各請求の当否について判断する。

1 離婚について

前記認定のように、原被告の婚姻関係は既に破綻し、その回復は不可能と考えられる。その原因の大なるものは被告の創価学会入信後の行動にあると認められるが、原告の方にも破綻の原因の存することを否定しえない。前記認定の事実は婚姻を継続し難い重大な事由に該当すると認めざるをえない。したがつて、原被告の離婚の請求を認容する。

2 被告の財産分与の請求について

別紙目録の(1)ないし(4)の土地建物は原告が父から相続したものであり、(5)ないし(7)の土地建物は原被告の婚姻中に取得されたものであるが、(5)の建物は、昭和四六年、原被告の婚姻関係が破綻に瀕した頃に原告が建てたものである。ここには被告の貢献は殆んどないと言って良い。したがつて、前記認定の諸事実を考慮して、原告から被告に対し別紙目録記載の(6)(7)の不動産を分与するのが相当であると認める。

3 慰謝料について

原告、被告とも慰謝料を請求するが、本件婚姻関係の破綻は双方に原因がある。厳密に言えば、責任の割合は被告の方が大きいと言えようが、それは原告の慰謝料請求を認容し、被告の慰謝料請求を排斥することを相当とする程の事情ではないと認める。したがつて、本件においては双方の慰謝料請求を排斥するのが相当である。

(石川良雄)

別紙  目録

(1)〜(5)<省略>

(6) 仙台市〇〇三丁目四番壱弐

一、宅地 231.56平方メートル

(7) 仙台市〇〇三丁目四番地の壱弐

家屋番号 四番壱弐の壱

一、木造瓦亜鉛メツキ鋼板交葺二階建居宅・事務所

床面積

一階 54.37平方メートル

二階 13.24平方メートル

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